「と」の札は一休宗純

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とんちじまんの いっきゅうさん おはかがあるのは きょうたなべ

一休宗純


室町時代の禅僧。京田辺市の「酬恩庵一休寺」に葬られている

テレビアニメなどで「とんちの一休さん」としても有名な「一休宗純(いっきゅう そうじゅん)」は、臨済宗大徳寺派の禅僧です。「屏風(びょうぶ)の虎」「このはしわたるべからず」など、さまざまな難問をとんちで乗り切る活躍は、江戸時代から「一休はなし」として親しまれてきました。

けれど、実際の一休さんは、禅僧でありながら、女性を愛し、肉を喰らい、酒を呑み、頭も剃らず、権威に反発し、弱者に寄り添い…と、少し風変りな人だったよう。波乱万丈の人生を送り、晩年の25年間は、京田辺市に広がる甘南備山(かんなびやま)のふもとの寺院「酬恩庵(しゅうおんあん)」で過ごしました。ここで88歳で亡くなり、お寺にはお墓もあります。
※お墓への一般参拝はできません

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どうしてお坊さんになったの? 子どものころの呼び名は「一休さん」じゃなかったって本当?

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わしの幼名は「千菊丸(せんぎくまる)」。お父さんが、当時の帝(みかど)・後小松天皇で、政治的に利用される心配があったため、6歳でお母さんと離されて安国寺(あんこくじ)に預けられたんじゃ。テレビアニメなどでは、この小坊主時代のことが描かれておるよ。

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いつから一休さんと呼ばれているの?

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わしが24歳のころに詠んだ歌の一節「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る一休み (人生は煩悩溢れるこの世から、来世までのごくわずかの一休みの出来事)」からつけてもらった〝号(僧侶や学者などの本名とは別の呼び名)〟が、「一休」。マンガなどの影響で「一休さん」というと小坊主がイメージされがちじゃが、わしが「一休」と呼ばれ始めたのは派な大人になってからのことなんじゃよ。

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